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大阪高等裁判所 昭和37年(ネ)1607号 判決 1966年9月13日

理由

一、控訴人らは、まず、被控訴人が「鳥清支店辻本久生」名義をもつて本件手形等を振出し又は裏書したものであるから、本件手形等に基づき支払の義務を負う旨主張する。しかしながら、控訴人らの右主張事実を認めるに足りる証拠は全くなく、かえつて、後記のとおり、本件手形等を振出し又は裏書したのは訴外辻本久生であることが認められるから、右控訴人らの主張は理由がない。

二、次に、控訴人らは、被控訴人が和歌山市内中プラクリ丁で「鳥清支店」なる商号を使用して精肉店の個人営業を営み訴外辻本久生をその支配人に選任し、本件手形等は右久生が支配人として振出し又は裏書したものである旨主張する。

よつて審究するに控訴人らの右主張に副う《各証拠》は後記証拠に対比し措信することができない。また《証拠》によれば、右中プラクリ丁「鳥清支店」の営業主が被控訴人であるとして和歌山県知事および和歌山市保健所長に届出られていたことを認め得るが、他方《証拠》によれば、右届出は辻本久生が被控訴人に無断でその名義を使用してなしたものであり被控訴人においてこれに関知しなかつたことが認められるから、右甲第九、一〇号証は控訴人らの主張を支持する資料となしがたい。その他控訴人らの右主張を認めるに足る証拠はない。かえつて、《証拠》を綜合すれば、左の事実を認めることができる。被控訴人、訴外辻本信千代および同辻本久生は異母兄弟の関係(久生は妾腹の子)にあるものであるが、右三名の父辻本清吉は古くから和歌山市内で鳥清なる商号をもつて鳥肉販売業を営んでいた。長男信千代は若年の頃横浜市に出てハム等畜産加工業を習得し、戦時中本籍地なる紀伊村に疎開していたが、昭和二一年頃信千代、被控訴人、訴外辻本功の兄弟三人共同で和歌山市美園町四丁目五七番地(東和歌山駅前)に店舗および工場を設置し、「鳥清」の商号を用い「鳥清」の看板を掲げて鳥清ハムの製造その他肉類の販売業を開始した。辻本久生は、右「鳥清」には全く関与するところがなかつたものであるが、昭和二五年頃被控訴人所有に係る同市内元寺町一丁目八番地(通称中プラクリ丁)所在の建物で食肉販売業を営みたい旨申出たので被控訴人はこれを承諾し右店舗を久生に貸与した。そこで、久生は右建物で「鳥清支店」という商号を用い食肉販売業を始め、自己の名義で同業者組合に加入し爾来昭和三四年始まで此処で営業を継続した。右久生の店舗には「鳥清支店」の看板が掲げられ、被控訴人の店舗にも「鳥清」の看板が掲げられていたが、両者の経営は全く別個独立のもので相互に資金労力の援助等の関係もなく、久生が商品のハム類を被控訴人の「鳥清」から買い入れる際にも「鳥清支店」に何らかの便宜特典が与えられるということもなかつた。被控訴人や信千代は、久生が「鳥清支店」なる商号を使用していることをもちろん知つてはいたが、同じく父「清吉」の子である以上久生が「鳥清」を名乗ることをとやかくいうのは穏当でないと考えて久生の右商号使用を差止めることもなく放置して来た。その後、被控訴人の「鳥清」は発展を遂げ、昭和二九年には法人に改組して鳥清畜産工業株式会社が設立され、被控訴人や信千代らは従前の共同営業を廃止して右会社の代表取締役に就任して今日にいたつている。右会社は、設立の当時は資本金三、〇〇〇万円であつたが、急速な発展を続けた結果現在では日本ハムと称し畜産加工業の大手会社の一つとして全国に雄飛している。久生は右会社にも全く関係せず、右会社設立後も久生と被控訴人ないし右会社との関係は従前と変りがなかつた。久生の「鳥清支店」の経営は、昭和二六年頃より悪化し、同二九年頃からは支払手形の決済のため高利の資金の導入を余儀なくされ、その悪循環によつて同三四年二月遂に倒産し、久生はその妻と共に和歌山市から逃亡した。本件手形等は、久生が倒産直前営業資金の一部の借入のため昭和三三年一〇月下旬から同年末までの間「鳥清支店辻本久生」名義で控訴人宮本および亡曾和徳三郎に対し振出し又は裏書譲渡したものである。

以上のように認定することができる。右認定にかかる事実関係によれば、「鳥清支店」は辻本久生の個人営業であつて、被控訴人はこれに何らの関係がなかつたことが明らかであるから、控訴人らの前記主張は採用することができない。

三、次に、控訴人らは、久生が「鳥清支店」の支配人でなかつたとしても、少くとも表見支配人に該当するから、被控訴人は久生の行為につき責に任ずべきである旨主張するが、右主張は「鳥清支店」が被控訴人の営業であり、久生がその使用人であることを前提とするところ、右前提事実の存しないことは前段の説示により明白であるから、控訴人らの右主張は採用できない。

四、さらに控訴人らは、被控訴人が自己の商号なる「鳥清」および自己の氏名の使用を久生に許しており、そのため控訴人宮本および亡曾和徳三郎において「鳥清支店」の営業主は東和歌山駅前「鳥清」同様被控訴人であると誤信し本件手形等を取得したものであるから、被控訴人は民法第一〇九条または商法第二三条に基づき本件手形等による支払義務を負う旨主張する。

よつて審案するに、被控訴人が鳥清畜産工業株式会社を設立する前その経営に係る個人営業に「鳥清」なる商号を用いていたこと、しかも、辻本久生がこれと別個に同種営業を営むにあたり「鳥清支店」なる商号を使用していることを被控訴人において知悉しながらこれを阻止する手段をとらなかつたことはさきに認定したとおりである。しかしながら、本件において、本件手形等の取得者たる控訴人宮本および亡曾和徳三郎が「鳥清支店」の営業主が被控訴人でないことを知り、または、これが被控訴人であると信ずるにつき(重大な)過失があるときは民法第一〇九条(商法第二三条)の適用がないものというべきところ、当裁判所は、控訴人宮本および亡曾和徳三郎が右の意味において悪意であつたか、少くとも重大な過失があつたものと考える。すなわち、

(1)  控訴人らが本件手形等であるとして提出している甲第一ないし第八号証の記載によると、本件手形等における久生の振出又は裏書には住所として和歌山市元寺町一の八中プラクリ丁と記載し(住所の記載を欠くものもある。)、次に「鳥清支店」と肩書して辻本久生の署名印が存することが認められる。かかる記載の形式からは本件手形等は鳥清支店なる商号を有する辻本久生個人の振出又は裏書とみるべき余地が多分に存し(巷間何々支店と称しつつ本店と別個の経営者の所有に属する営業が多数存在することは顕著な事実である。)、これが久生個人の振出又は裏書に係るものでないとすれば、支配人、支店長等代理人たる資格を示す記載を全く欠くこととなり、極めて不完全な形式といわざるを得ないのに、控訴人宮本および曾和において本件手形等の取得にあたり、右の点の是正を求めた形跡の存しないこと。

(2)  控訴人宮本は原審および当審における本人尋問において、本件手形等は第一次的には久生に支払つてもらう積りであり、「鳥清支店」に万一のことがあつても被控訴人が引受けてくれるので安心して本件手形等を割引いた旨の供述をしていること。(右供述は、「鳥清支店」が被控訴人の経営であると信じていたという同控訴人のその余の供述部分と矛盾している。)

(3)  前顕《証拠》によれば、控訴人宮本はバーを経営しているものであるが、古くから久生方店舗の近くに居住し土地の事情に精通しており、本件手形等取得前すでに一年の長きにわたり本件手形等と同一形式の久生の署名捺印ある手形により「鳥清支店」に貸金をして来たこと、また、亡曾和徳三郎は副業としてではあるが金貸業を営んでおり、同人が本件手形を取得するについては控訴人宮本が介在していたこと等の事実がみとめられる。しかして、右甲第一三号証によれば、右曾和および控訴人宮本は本件手形割引の際、久生からその事情として「本店(被控訴人の「鳥清」)に納めるべき金員を工面するため本件手形等を割引して現金化する必要がある」と聞かされていたというのであるが、およそ同一経営者の所有にかかる本支店間において支店の受取つた手形を支店がわざわざ高利で現金化し(本件手形等が高利で割引かれたものであることは弁論の全趣旨により明白である)、これを本店に納付するというごときことは極めて変則的な事例に属し、かかる事情の存在からは、むしろ、そのいわゆる本支店が別個の経営に属することを容易に推測し得るものであること。

(4)  控訴人らは、被控訴人がその所有に係る中プラクリ丁建物を久生に貸与し、県知事や保健所長に鳥清支店の営業主が被控訴人として届出られていたことを、「鳥清支店」の営業主が被控訴人であると信じていたことの有力な根拠として主張する。しかしながら、《証拠》によれば、控訴人宮本も前記曾和徳三郎も本件手形等取得の当時においては、「鳥清支店」の店舗の所有者のことも、営業主の届出名義のことも一切知らず、これらのことは本件訴訟提起にあたり控訴人らの委嘱により専問家が詳密な調査を遂げてはじめて判明したものであつたことが認められること。

(5)  控訴人宮本および亡徳三郎の本件手形等取得当時東和歌山駅前「鳥清」(すなわち実際は鳥清蓄産工業株式会社)は隆々たる発展の途上にあり和歌山市内においても蓄産製造販売の大商店として一般に認識され、従つて、一応、街の金融業者にたよつて高利の資金を導入しなければならないような状態にあるとは考えられず、控訴人宮本および亡徳三郎も和歌山市又はその近郊の居住者として当然右事実を知つていたものと認められること。

以上(1)、(2)、(3)の後段、(4)、(5)の事実に(3)の前段の事実を綜合して考察すると、控訴人宮本および亡徳三郎は本件手形等取得当時「鳥清支店」の営業主が被控訴人ではなくして、辻本久生その人であつたことを知悉していたものと認めざるを得ない。右認定に反する原審および当審における控訴人宮本本人尋問の結果および前顕甲第一三号証の各一部は措信できず、他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。

仮に百歩を譲り、控訴人宮本および亡徳三郎において「鳥清支店」の営業主が被控訴人であると誤り信じていたとしても、前記(1)、(3)、(5)の如き事実の存在に照し、「鳥清支店」の営業主が果して被控訴人であるか否かにつき疑問を懐くべきが当然であり、かつ、この点の調査は和歌山市内に居住する控訴人宮本および近郊に居住し金貸業者である亡徳三郎にとつて極めて容易なことであつたはずである。(控訴人宮本らが、そのいわゆる「鳥清本店」に電話照会するだけの労をさえ惜しまなければ、「鳥清本店」なるものは会社組織となつており、久生の「鳥清支店」が右会社と何の関係もないことが簡単に判明したはずなのである。)しかるに、控訴人宮本および亡徳三郎は、久生から同人の個人振出と認める余地の多分に存する本件手形等を取得し、かつ、他にも疑うべき節が存するにかかわらず、「鳥清支店」の営業主の点に何らの注意を払わず久生をもつて右営業主と軽信し、容易になすことを得べかりし調査をも怠り、その結果右誤信に陥つたのであるから、右誤信については同控訴人らに重大な過失があつたものといわざるを得ない。してみると、民法第一〇九条又は商法第二三条を根拠とする控訴人らの前記主張もまた失当として排斥を免れないものである。

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